就職・キャリア支援若手大工育成プロジェクト
2011年10月、本学院初代オーバーマイスター・故田中文男棟梁が、生前熱い思いで取り組んでおられた若手建築技能者育成の遺志を受け継ぎ、『若手大工育成プロジェクト』を立ち上げました。
このプロジェクトは、若手大工育成の支援とその重要性の周知活動を進めています。
プロジェクトの趣意と事業
プロジェクトの趣意
『若手大工育成プロジェクト』趣意書
学校法人 富山国際職藝学園
理事長 稲葉 實
大工棟梁・故田中文男氏が生前特に力を注いでおられたことの一つに若手大工の育成がありました。田中棟梁は、常に様々な場において、若手技術・技能者の、特に大工の育成について声高に発言し、実践されてきました。
これは田中棟梁が生涯にわたり師と仰いだ太田博太郎博士が、その著書の中で日本人の建築観について、「伝えようとするのは、そこに作られた物自体ではなくて、精神を担う形であり、物は結局精神を表すための手段であり、物それ自体は永久に残し得ないものと観じていたのであった。」と述べられていたことに感銘を受け、精神を伝えるものとしての大工を残し続けることこそが大事であると感じられたからではないでしょうか。
わが国の木造建築を中心とする生活文化は、長い歴史の中で優れた大工などの職人文化を築いてきましたが、現状は、後継者育成にも支障をきたしている状況にあります。
当学校法人の国際職藝学園は、このわが国固有の精神と伝統技術・技能を引き継ぎ、木造建築づくりを支え、未来へつなぐ若い担い手を育成することが、今最も重要でかつ急務であると考え、「若手大工育成プロジェクト」を始めることといたしました。
なお、田中棟梁は大工の文男から取った愛称として“だいふみ”さんとして多くの方々から親しまれていました。こうしたことから、このプロジェクトの賞の名称を『大文賞』といたしました。
プロジェクトの事業
若手大工育成プロジェクトは、故田中文男氏の命日8月9日を開始日として、これまでに大工育成に真摯に取り組んでいる学校(団体)、また大工を志す若者(個人)を表彰しています。
田中文男棟梁の「継手・仕口木組み模型」
田中文男棟梁の経歴など
田中文男棟梁は、1932年茨城県生まれ、1946年宮大工棟梁に弟子入りして腕を磨き、その後2010年8月9日に逝去されるまで、(株)眞木建設・(有)眞木の社長として数々の業績をあげられる一方、大工を始めとする多くの木造建築技術の後継者を育てられました。
社寺や住宅などのあらゆる建築の設計・施工のほか、数多くの民家調査や文化財建造物の修理と復元などにも中心的に関わられ、幅広い知識と理論重視で「学者棟梁」と呼ばれました。そして、文化財修理報告書を中心に多数の論文があるほか、全国各地での講演活動や様々な委員や講師を務めるなど社会活動に積極的に携わられました。
また、“大工の文男”から「大文(だいふみ)」さんと親しまれる一方、「技術と学問のコーディネーター」とも称されて、分野を超えたネットワークの広がりは大きく、2010年10月に行われた「田中文男さんを偲ぶ会」には各界からそして全国各地から500名近い多くの方々が参集されました。
そして、田中棟梁は平成8年開校の職藝学院設立発起人の一人として、また学院における初代オーバーマイスターとして、大工や庭師の卵たちを厳しく指導されました。
初代オーバーマイスター田中文男のことばはこちら
主な経歴
1932年 (昭和7年) |
1月10日茨城県生まれ |
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1946年 (昭和21年) |
尋常小学校高等科を卒業し、千葉県で宮大工の棟梁に弟子入り |
1953年 (昭和28年) |
年季・御礼奉公を終えて上京、 重要文化財根津神社の修理事務所で働く |
1954年 (昭和29年) |
早稲田大学工業高等学校建築科に入学 |
1956年 (昭和31年) |
民家調査に参画、以降断続的に晩年まで継続(初期の調査には、奈良県橿原市今井町町家調査1957、長野県栄村秋山郷民家調査1957-58、滋賀県湖北地方の民家調査1958など) |
1957年 (昭和32年) |
東京大学建築学科の太田博太郎氏・大河直躬氏などの研究者の活動に協力 大河直躬氏設計「岩本邸」を皮切りに建築の請負を始める |
1958年 (昭和33年) |
早稲田大学工業高等学校建築科卒業 田中工務店設立 |
1960年 (昭和35年) |
石津謙介氏依頼のVAN ヂャケット「銀座帝人メンズショップ」(設計 宮脇檀)施工 |
1962年 (昭和37年) |
株式会社眞木建設設立 |
1966年 (昭和41年) |
石津謙介氏依頼の富士山麓の別荘「もうびぃでぃっく」(設計 宮脇檀)施工 |
1969年 (昭和44年) |
一級建築士の資格取得 |
1971年 (昭和46年) |
「眞木式校倉造り木造別荘」を開発、暮しの手帖で取り上げられる |
1975年 (昭和50年) |
桂離宮御殿の昭和大修復に伴う使用材料調査の技術指導 |
1982年 (昭和57年) |
宮澤智士氏らと「普請帳研究会」を発足させ、社寺建築や民家の修理工事などを通して調査研究を進め、機関紙『普請研究』を10年に渡って刊行 |
1984年 (昭和59年) |
現代計画研究所の藤本昌也氏と晴海の東京国際グッドリビングショーへ「民家型構法による国産材モデルハウス」を出展 |
1986年 (昭和61年) |
「筑波町立第一小学校の木造体育館」(設計 下山眞司)で技術指導 |
1991年 (平成3年) |
有限会社眞木設立 |
1993年 (平成5年) |
『普請研究』刊行を通じた「普請帳研究会」10年の活動に対し「日本建築学会業績賞」受賞(代表 宮澤智士) 一連の文化財修復等への功績により文化庁長官から「文化財愛護推進感謝状」を贈られる |
1995年 (平成7年) |
一連の国産材活用への提案等により林野庁長官から 「国有林材活用感謝状」を贈られる |
1996年 (平成8年) |
富山国際職藝学院(現職藝学院)オーバーマイスターに就任 |
1999年 (平成11年) |
富山市での「スミセイライフミュージアム―生きる」で五木寛之氏と対談、 継手・仕口模型の組立実演を背景に、ものづくり人づくりの原点を語る |
2001年 (平成13年) |
ものつくり大学特認教授 |
2004年 (平成16年) |
大工育成塾講師 |
2010年 (平成22年) |
みどりの感謝祭にて秋篠宮よりの「第21回みどりの文化賞」受賞 |
2010年 (平成22年) |
8月9日逝去、享年78歳 |
主な仕事
- ・文化財等の施工
- 重要文化財花野井家住宅解体移築修理(千葉県野田市1971)を始めとし、国営吉野ケ里歴史公園北内郭復元建物(佐賀県吉野ヶ里町1999-2001)などを含む93件
- ・著書
- 『普請研究』(1982~1992普請帳研究会機関紙全40冊)
『関東の住まい 日本列島民家の旅⑧関東』(1998 INAX出版 INAX album37)
『現代棟梁 田中文男』(1998 INAX出版 INAX booklet)
『田中文男の今』(20008「住宅特集」300号記念増大号)
『大文覚書Ⅰ東関東の近世民家架構の変遷』(2008宮沢智士編集・自費出版) - ・修理工事報告書
- 旧大沢家住宅(千葉県習志野市1982)、佐渡国蓮華峰寺骨堂(新潟県小木町1984)、旧小川家住宅(神奈川県大和市1985)、旧宇田川家住宅(千葉県浦安市1985)、旧和田家住宅(神奈川県茅ヶ崎市1985)、旧横田家住宅(茨城県桜村1985)、逢善寺本堂(茨城県稲敷市1987)、旧大塚家住宅(千葉県浦安市1988)、桶川宿本陣遺構(埼玉県桶川市1988)、側高神社本殿(千葉県香取市1988)、林家住宅(千葉県干潟町1989)、旧進藤家住宅(千葉県袖ヶ浦市1991)、旧花野井家住宅(千葉県野田市1991)、旧堀田邸(千葉県佐倉市2002)
- ・論文
- 普請帳よりみた構造と部材名称(1962)、民家の変遷-接客を中心として(1981)、木造建築の知恵(1982)、東総の旧石橋家住宅の構造手法(1982)、新田村における付合い慣行の形成過程-下総国布鎌新田の場合-(1983)、石堂村と御子神家の歴史(1983)、建築資材の近代化過程-安田善三郎著「釘」によせて-(1983)、家はどう腐るか-民家の土台について-(1984)、御子神家の祝い事の付合い-「てる」の人生儀礼(1984)、竹富島におけるアナブリヤーの建設(1989)、房総民家の間取りと架構の変遷(1991)、伝統的な建造物保存の現状(1994)、大黒柱と差鴨居(2000)
- ・職人論
- 地域性をもっと盛り込め(日経アーキテクチャー1990)、仕事師三口義一賛(施工1991)、職人の歴史過程(サイトスペシャルズ・フォーラムニュース1991)、真木建設の仕事(住宅建築1991)、シリーズ21世紀の日本人へ 俺がやらなきゃ誰がやる-大工・田中文男(NHK1997)
プロジェクト経過(2011~2014)
「田中文男さんを偲ぶ会」と新眞木塾について
2010年10月の「田中文男さんを偲ぶ会」に集まられた多くの方々の間から、氏のロマンを繋いで若手大工育成を支援しようという熱気溢れる声が上がり、偲ぶ会の世話人と会の事務局が『若手大工育成プロジェクト』を提案し、その趣旨に賛同された様々な分野の多くの皆さんにより「新眞木塾」が発足しました。そして、「新眞木塾」を中心にしてプロジェクト支援の呼びかけと支援募金のための5回の講演会が開催されました。
富山国際職藝学園は、新眞木塾と共に「若手大工育成プロジェクト」事業を検討し、『大文賞』創設を含む事業計画を策定して2012年8月9日に記者発表を行いました。
なお「新眞木塾」という名称は、田中文男氏が生前若手大工の指導・教育などのために主宰されていた「眞木塾」からとっています。
支援講演会の開催など
- ○プロジェクト記念講演会 2011年5月19日(木)/東京大学農学部
- 大武健一郎 氏(元国税庁長官、東日本大震災復興構想会議専門委員など)
「日本の危機 東日本大震災をのりこえて」 - ○第1回支援講演会 2011年6月24日(金)/東京大学農学部
- 三井所清典 氏(芝浦工業大学名誉教授)
「地域の復元力となる木造の住まいと建築」 - ○第2回支援講演会 2011年7月15日(金)/東京大学農学部
- 斉藤 英俊 氏(京都女子大学教授)
「桂離宮に見られる構法・技法」 - ○第3回支援講演会 2011年7月22日(金)/東京大学農学部
- 宮澤 智士 氏(長岡造形大学名誉教授)
「古民家の魅力を探る-土肥家住宅の編年研究」 - ○第4回支援講演会 2011年8月9日(火)/明治大学駿河台校舎
- 橘 慶一郎 氏(衆議院議員・前富山県高岡市長)
「災害を乗り越えて-高岡の文化財の形成史」 - ○若手大工育成プロジェクト事業計画発表と記念講演会 2012年8月9日(木)/東京大学農学部
- 後藤 治 氏(工学院大学教授)
「東日本大震災の文化財被害から見える職人の必要性」
第一回大文賞
○第一回大文賞発表会
日 時 | 2013年8月9日(金) 18:00~21:00 |
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会 場 | 工学院大学新宿校舎28階第一会議室 |
受 賞 |
◇団体部門 「大文賞」奨励団体 三重県立四日市工業高等学校 ◇個人部門 「大文賞」大工 佐々岡由訓 (広島県広島市) 「大文賞」奨励大工 池田 祐亮 (富山県南砺市) 「大文賞」奨励大工 高山 智久 (石川県金沢市) ◇特別賞 「大文賞」特別賞 キンレイ・ウォンチュク 氏(ブータン王国) |
記念講演 |
宮沢智士 氏(長岡造形大学名誉教授) 「日本民家研究史の試論」 |
選考経過と講評について(PDF)
特別賞 キンレイ・ウォンチュク 氏について(PDF)
○第一回大文賞贈呈式
日 時 | 2013年10月12日(土) 13:30~16:00 |
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会 場 | 職藝学院名匠情報センター大研修室など |
次 第 |
主催者挨拶 選考経過について 贈呈式(団体部門・個人部門、特別賞) 記念講演 受賞者との交流 |
記念講演 |
キンレイ・ウォンチュク氏(ブータン王国) 「ブータンの伝統建築・大工技術と文化財の修復」 |
○第一回大文賞ニュース
「第一回大文賞発表会」はこちら
「第一回大文賞贈呈式」はこちら
「ブータンで第一回大文賞の報道」はこちら
第ニ回大文賞
○第ニ回大文賞発表会
日 時 | 2014年8月9日(金) 18:00~21:00 |
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会 場 | 工学院大学新宿校舎28階第一会議室 |
受 賞 |
◇団体部門 「大文賞」大工育成団体奨励賞 長野県松本技術専門校 ◇個人部門 「大文賞」大工奨励賞 石飛 司(島根県出雲市) 「大文賞」大工奨励賞 山下 裕(富山県氷見市) ◇特別賞 「大文賞」特別賞 グエン・トゥオン・ヒー氏(ベトナム社会主義共和国) |
記念講演 |
安藤邦廣 氏(筑波大学名誉教授・㈱里山建築研究所主宰) 「板倉構法による震災復興の取り組み 田中文男の遺志を受け継ぐ者の一人として」 |
○第ニ回大文賞贈呈式
日 時 | 2014年10月11日(土) 13:30~16:00 |
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会 場 | 職藝学院名匠情報センター大研修室など |
次 第 |
主催者挨拶 選考経過について 贈呈式(団体部門・個人部門、特別賞) 記念講演 受賞者との交流 |
記念講演 |
グェン・トゥオン・ヒー 氏(ベトナム社会主義共和国) 「ダイフミ先生の元で学んだことと、わたしの文化財保存人生」 |